琉球紙とは
琉球紙とは、今から約300年前より沖縄(琉球)で漉かれている沖縄独自の紙のことです。
王都首里を中心に、琉球王国内の島々へも伝承されました。気候や地理的要因により、世界で見ても唯一無二の特徴をもつ素材といえます。
琉球紙の歴史
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起源
現在の沖縄県が琉球王国を築き栄華を誇っていた時代、日本・中国・東南アジア との交易により様々な琉球独自の文化が花開きました。そのうちのひとつである琉球紙は、それまで中国や薩摩から紙を輸入していた王府が国の急速な発展に紙が不足した為、独自の紙作り政策を進めたのが起源です。 -
繁栄
1694年、ひとりの下級士族が首里王府の命を受けて薩摩に赴き、日本の紙漉き技法を学んで帰国し、城下の首里金城村で紙を漉いたといわれています。その後、 1717年にいたり、4人の下級士族によって琉球独自の紙「芭蕉紙(ばしょうし:糸芭蕉 を原料とする)」が共同開発されています。沖縄の紙漉きの文化は王都首里を中心に芽吹き、その紙漉き技術は宮古島や石垣島などの離島にも伝授されています。日本の和紙に比べ琉球紙の歴史はそれほど古くはありませんが、琉球王国の発展の大きな役割を担い、琉球の文化のひとつとして伝承されました。 -
衰退と復興
明治時代、需要が無くなるとともに琉球紙は途絶えてしまいます。昭和に入り、柳 宗悦を筆頭とする日本民芸運動が盛んになると様々な芸術家たちによって沖縄 の美しい手工芸の価値が見直されました。しかし琉球紙についての資料や文献は とても少なく、それを再興させるのは大変困難なことでした。そのような中でも再興に尽力したのが島根県の和紙職人である人間国宝・安部榮四郎氏と弟子の勝 公彦氏でした。 -
現在
現在、安部榮四郎氏の弟子である安慶名清氏をはじめ、紙漉きに従事する職人はほんの数人となりました。日本の和紙の産地と比べると紙づくりの環境も整っておらず、認知度も高いとは言えません。先人が育み、守り続けたこの沖縄の文化を後世へとつないでいくためには、様々な課題が考えられます。
紙の種類
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芭蕉紙(ばしょうし)
バショウ科の大形多年草で、原料には茎の部分を用います。18世紀に誕生した 沖縄独自の紙で、仕上げるまでにはたくさんの時間を要します。繊維質な紙肌で優しい褐色をしており、沖縄ならではの素朴なおおらかさが特徴です。 -
青雁皮紙(あおがんぴし)
バショウ科の大形多年草で、原料には茎の部分を用います。18世紀に誕生した 沖縄独自の紙で、仕上げるまでにはたくさんの時間を要します。繊維質な紙肌で優しい褐色をしており、沖縄ならではの素朴なおおらかさが特徴です。 -
百田紙・杉原紙(ひゃくたし・すぎはらがみ)
いずれもクワ科の楮を原料とする紙で、沖縄ではカジノキという材が用いられます。首里王府が薩摩に使者を送り日本の造紙技術を取得させたのが起源となり、首里に構えた紙漉場で公用紙として造紙されました。
そのほか、桑樹、あこう、ガジュマルなどの材でも紙が造紙されたとされています。